私の仕事がなくなるとき|仕事の価値、本質、業界の未来像を浮き彫りにするメディア

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時代とともに消えた職業

新技術が生まれてくると、それにともなって世の中の職業も影響を受けます。
新しい技術によって誕生した道具が人間の作業の代わりをできる場合、多くのケースで、人間の職業の方が消えていきます。
高い賃金も払わずに済みますし、機械なら病気になったり仕事に不平を述べることもありません。
特に簡単な作業なら機械の効率の良さにはヒトは勝てないところがあります。
ここでは過去に消えていった職業を特集したいと思います。

今では見かけなくなった職業たち

蒸気機関車のかま焚き

蒸気機関車の火室に石炭を投げ込んで燃料を焚く仕事です。
SL=蒸気機関車は石炭で焚いた蒸気を動力として走るので、燃料を絶えず補給する必要があります。
この作業は、一般には機関助手が行っていましたが、かま焚きがやることもありました。
石炭というのはかなり重く、それを大量に出し入れするのですから、この仕事はかなりの重労働です。
また石炭の質が悪いと燃焼の具合がいまひとつなので、そのような場合は、なおさら労力が必要なこともあったようですね。
煤煙で咽喉や肺をやられる労災も多く発生しており、かなり過酷な労働だったようです。
しかし、スクリューを使った自動給薪機が登場し、また蒸気機関車が電気機関車に取って代わったことで、そのような職業も消滅してしまいました。

活動弁士

活動弁士は、俗には「活弁士」も呼ばれます。正式には活動写真弁士といいます。
今では考えられないことかもしれませんが、昔の映画は白黒で、なおかつ音声がありませんでした。
そのため、映画のナレーションや台詞を脇で代わりに喋る人が必要だったのです。
映画館によっては、映画館所属の楽団がいて、背景音楽や効果音を付け加えたそうです。
アナログな世界ではありますが、初めて知る人にとっては、考えようによっては大変にぜいたくな娯楽だと驚かれるのではないでしょうか。
弁士の中には上手な台詞回しと熱のこもった解説で観客を感情移入させ、人気になる人も大勢いました。

しかしながら、音声付きの「トーキー映画」が導入されると、もはや余計な解説や音楽は不要になってしいまいます。
戦後生まれの人の中には、活動弁士などという職業があったことさえ知らないのが普通です。
職を失った活弁士たちには、特技を活かして噺家や司会者、紙芝居業、ラジオ解説者など転進する人もいました。

電話交換手

舞台が昔のドラマや映画で、電話交換という言葉が出てくるたびに「?」と思っていた人はありませんか。
昔は、電話を中継するリレー回路なども未熟で、誰かに電話をかけたい時は、まず交換手を通さねばなりませんでした。
電話口で通話したい相手を告げると、交換手が手動で中継作業を行って相手につなげるのです。このため相手が出るまでにかなり時間がかかったようです。ドラマや映画でも、通話を申し込んだかと思うと、何時間も待っている様子が描かれていることがあります。
現在では、「電話交換」は、デパートや大型公共施設、コールセンターなどの大量の人員が働いてるところや、特殊な場所でしか見られません。
ご存じの通り、普通の通話は自動装置がつなげてくれる便利な世の中になったのです。

時報係(時間を教える人)

文字通り、今が何時かなどを教える役割の職業です。
誰もが腕時計をもっており、壁に時計がかかっている時代になるのはずっと後のことです。授業や仕事の開始・終業時刻、お昼など、特定の時間帯を告げて回ることを職業にする人がいたのです。

都市圏では、大砲の空砲音で正午などを知らせることが行われていました。「お昼のドン」などと呼ばれていたそうです。今でも午前中で仕事が終わるような日のことを「半ドン」と呼んだりする人がいますよね。週休2日が一般的になるまでは、日本人は土曜日も仕事をしており、その代わり土曜の午後は休みでした。「お昼のドン」で仕事が終わりなので、「半ドン」というわけです。
皇居や大阪城には、この「お昼のドン」のための午砲台が設置されていました。

学校では用務員の人などが手持ちのベルを鳴らしながら校内を歩き時刻を知らせたり、軍隊では朝の起床や食事の時刻をラッパ係がラッパを鳴らして告げていました。
イギリスでは、労働者の家のドアや窓を叩いて朝起こして回る職業まであったとか。
こういった職業も、壁時計や腕時計、目覚まし時計が発達し、校内放送というものができて、簡単に時間が分かるようになると、不要になっていきました。

灯台守

「海の交通標識」とも言える灯台を管理する人です。
「喜びも悲しみも幾歳月」という有名な映画があるのですが、ご存じの人はいるでしょうか。実在の灯台守の妻の手記に基づいて作られた1952年の映画で、佐田啓二と高峰秀子という当時のスターが演じ、多くの人が感動しました。「おいら岬の 灯台守は……」という歌を聞いたことがある人もいるかもしれません。
灯台守は、灯台のメンテナンスと船舶との不測の事態の対応を担っており、過去には国内200箇所以上で灯台守が働いていたそうです。
しかし時代が下って船舶の航行と識別システムが発達し、情報機器も高度になりました。また業務の円滑化からも灯台守が常駐する必要も無くなり、国内では2006年の12月をもって有人灯台は消滅しました。

鯨の銛投げ手

捕鯨の際に、手ずから銛をでもって鯨を仕留める人です。
人力なので腕力のある人が携わっていたそうですが、火薬を使った捕鯨砲が発明されると腕っ節のいい投げ手は不要になりました。

街灯の点火係

昔はガス灯だったので、夕方になると街中のガス灯に点火して回る役目の人がいました。
日本も明治時代まではそうした職業の人がいましたが、電気が普及して電灯の方が多くなると職業もなくなります。

代書屋

文字通り手紙などを代筆してあげる人です。
識字率が高まって国民誰でも読み書きできるようになるのは、義務教育が普及して進学率があがってからです。特に女性教育は遅れていました。

カナをカタコト程度には書けても、正式な文章は書けない、苦手という人も大勢居ました。

それを毛筆で正式な手紙の形で代筆してやったり、出稼ぎの人が故郷の親族に手紙を書くのに、言いたいことをちゃんと伝わる手紙に仕上げてやっていました。

教育が普及して書くことが特殊技能でも無くなったこと、手紙のマニュアル書籍からワープロまで登場するともはや代書屋のニーズは消滅しました。

まとめ

職業が消滅するとき、そこにあるのはやはり「新技術の登場」です。その職業のニーズが消滅したという場合もありますが、機械の便利さ、手軽さには人間はなかなか勝てないようです。

ただ、細かく見ていくと「無くなってしまった」職業にもいろいろと違いがあります。
完全に不要となって消滅したものもあれば、あくまで業務の一部だけが消滅しただけで、「職業」としては残っているものもあります。
例えば学校の用務員さんなどがそうです。記事の中で取り上げた「時報係」としての業務は消滅しましたが、その他の学校雑務を担当する「用務員」という職業は今でも残っています。

大きく切った氷などを販売する「氷屋さん」は、冷凍冷蔵庫が家庭に普及したり、冷凍技術が発達したために見かけなくなりましたが、食べ物屋などの納入業者は、物品の一つとして氷を扱うこともあります。

また先進国では消滅しても別の地域では残っていたり、職業の特殊性から観光産業の一部などで残っているものもあります。
交通手段としてはもはやニーズのない「人力車」も、鎌倉や京都など一部の観光地では、風情を感じさせる仕事として成り立っています。
また「エレベーター係」も同じです。エレベーターがボタン一つで誰でも操作できるようになった今、人件費の節約の観点からほとんど案内係は見かけなくなりましたが、大型百貨店や観光地のビルやタワーなどでは、店や催し物の宣伝をかねて、今でもエレベーターガールが活躍しています。

最近では人工知能(AI)の技術革新が目覚しいものとなっており、将来的にはほとんどの職業がなくなりかねないとまで言われています。でも、過去の職業の変遷を見ていくと、あらゆることにおいて悲観的になる必要はないのかもしれません。